2000年1月1日土曜日

日本文化のルーツとグローバリゼーション

日本の家庭においては、冬の人気メニューのナンバーワンはなべ物とのことで、2000年の正月はどこにも出かけず、炬燵でおなべという人も多いかもしれない。99年中は、長引く不況のなか、東海村、新幹線、H2ロケットと日本中にちょんぼが目立ち、こんなことで日本は果たして大丈夫かと、いろいろ落ち込むことも多かった一年であったが、雪見酒におでんなど突っついていると、やはり日本人に生まれて良かったと実感するのである。そこで質問。世界で最初におなべ料理を食べたのはだれだ。

この問題は意外と複雑で、調べるとどんどん時代を遡ってゆく。結局、容器としての「お鍋」を最初につくった人が世界最初の「おなべ」を食べたと考えるのが妥当との結論となるが、こうなると考古学の問題だ。いちばん古い土鍋(土器)はどこにある。意外や意外、それは日本列島であった。最近、青森県で出土した縄文土器は、放射性炭素法年代測定によると約1万6500年前と判定され、世界最古とされた。

当時の縄文人たちは、竪穴式住居のなかで、たき火のなかに縄文式土器を据え、シカやイノシシの肉、魚介類、それに根菜類やトチの実からとったでんぷんなどを入れて煮立て、みんなでふうふう言いながら食べていたのだ。これは当時の地球では最先端の食文化であった(なにせ、他所には「お鍋」がなかった)。現代日本人のほぼ半数以上は縄文人のDNAを受け継いでいることが、これまた最新の科学技術で明らかになっている。だから、おなべ料理を発明したのはやはり日本人といえるのだ。

単なるおなべの話であるが、このことはいろいろ示唆的である。日本人は昔から物まね民族といわれてきた。しかし日本人はそのルーツに核となるしっかりした文化を持っていたからこそ、外来文化を、どんどん抵抗なく受け入れることが出来たのではないか。弥生時代になり比較的少数の外来人とともに農耕技術が日本列島に伝来するが、狩猟民族であった縄文人はそれをことごとく消化し、数百年にして世界最大級の墳墓群を有する農耕型の古代文明を築き上げる。アニミズム(古代神道)に生きていた日本人は、突然に仏教を取り入れ、200年程で世界最大の鋳造仏(奈良の大仏)を建造するまでに大変身する。弓こそ命と信じていた武士たちも、ポルトガル人が鉄砲を持ち込んでからわずか30年で、日本を世界最大の鉄砲生産国にしてしまう。明治維新後の西欧文明の移入は言わずもがなだ。

背景にあったのは、いくら外国の文明を受け入れたところで、自己のアイデンティティーは絶対に傷つかないという確信でなかったか。21世紀を目前に、日本は大きな変化に直面している。グローバリゼーション、IT革命、企業経営の改革、社会改造などなど。でもやはり冬になれば、人々は昔ながらのおなべを囲む。自信を持ってグローバリゼーション対応と自己改革に臨みたい。

(橋本尚幸)